あんぱん中国での戦争でたかしはどうなる?史実とネタバレとは?

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朝ドラ「あんぱん」

NHK連続テレビ小説「あんぱん」北村匠海さん演じる柳井嵩(やないたかし)は、これから戦争で中国に行くことになります。一体どうなるのでしょうか?

朝ドラ「あんぱん」で中国での戦争のネタバレと、たかしのモデルやなせたかしさんの史実をご紹介します。

【あんぱん】中国でたかしはどうなる?戦争ネタバレは?

朝ドラ「あんぱん」柳井嵩(北村匠海)は小倉連隊に配属され、毎日理不尽な暴力を振るわれ、絶望する毎日でした。

そんな中でも、親友の健太郎(高橋文哉)との再会や、暴力を振るわない世話役の八木(妻夫木聡)の助けなどがあり、乙種幹部候補生に合格。

以下の記事では壮絶な小倉でのネタバレや史実をご紹介しています。

あんぱん軍隊の殴られすぎのいじめはやなせたかしの実話だった!

今まで新兵たちを殴ってきた古兵の馬場(板橋 駿谷)と、甲田(萩原 亮介)がお酒を持ってお祝いにやってきます。

千尋(中沢元紀)がやってきて、厳しい任務に就くと報告し、千尋を見送ったその1か月後。

たかしたちの小倉連隊に、中国福建省の山奥にある駐屯地への出動命令が下りました。

出発の前夜、たかしは八木にこれまでのお礼を言い、八木の横顔を描いたスケッチを渡します。

八木はたかしに、井伏鱒二の詩集を持っていたので、自分と同じ匂いを感じたと答えました。

「弱い者が戦場で生き残るには、ひきょう者になることだ」

八木は突き放すように言いました。

中国での再会

中国に到着したたかしたち。そこでたかしは、尋常小学校のときの同級生、田川岩男(濱尾ノリタカ)に再会します。

あさイチに登場した濱尾ノリタカさん!再登場すると発表していましたね。蘭子(河合優実)にプロポーズして撃沈した(笑)岩男です。

部隊は命令が下りるまで、治安維持にあたることになりました。

紙芝居

たかしは絵の才能を買われ、宣撫班勤務を命じられます。

宣撫班(せんぶはん)とは

旧日本軍が占領地域の住民の協力を得るために,戦争目的を宣伝したり,娯楽など,民生に役立つことを行うために組織,派遣された小部隊のこと。これらの活動を宣撫工作と呼んだ。

引用元 コトバンク

占領地域の住民たちに取り入り、日本軍への親しみを深めさせ、協力してもらうための班です。

宣撫班はその日の朝、桃太郎に見立てた紙芝居を上演しましたが、村人たちが怒り出したといいます。

日本兵はうそつきだ!

騒ぎになり、物々しい雰囲気になったため、地元民が喜ぶ紙芝居を作るよう、たかしは命じられたのです。

数日後健太郎も宣撫班に入ることになり、ふたりは地元民から反感を買わない紙芝居を作り始めました。

ふたりが行き着いたタイトルは「双子の島」。

岩男が地元民の少年、リンと仲良く遊ぶ様子や、清(二宮和也)が中国にいたときの日記にあった、こんな言葉からヒントを得た結果です。

東亜の存立と日支友好は双生の関係だ

ようやく出来上がった紙芝居は、八木の助けもあり審査に合格。

重々しい雰囲気のなか、紙芝居が始まると、だんだん地元民たちから笑いと拍手が起こり始めました。

たかしたちは泣かすつもりだったのに、なぜ笑うのか首をかしげます(^^;)

通訳のアレンジもあり(笑)たかしたちの意図とは違う伝わり方をしましたが、地元民の評判も上々で、上官からも評価されます。

こうしてたかしたちは、紙芝居を続けることになりました。

空腹との闘い

1945年春。日本の戦況もより厳しさを増す一方。

たかしも元の部隊に戻り、戦闘任務に就くことになりました。

そんなとき、敵の攻撃により駐屯地への補給路が絶たれてしまい。みんなの空腹との闘いが始まります。

たかしは乾パンを食べながら、朝田パンを思い出します。

ついに食料が底をつきました。

正気をなくした康太(櫻井健人)は、民家に押し入り老婆に銃を突きつけます。

たかしと神野(奥野瑛太)が止めましたが、老婆は最後の食料だった卵をゆで、3人に与えます。

たかしは「シェイシェイ」と繰り返し、3人は泣きながら卵を食べました。

岩男の死

たかしたちが駐屯地に戻ると、岩男が銃撃され倒れていました。

「リンはようやった・・・これでえいがや」

そう言い息を引き取った岩男。

「リンは親の仇をうったのだ」

八木がたかしに教えます。岩男は親の仇でしたが、いつのまにか岩男を好きになっていました。

八木はたかしに問いかけます。

「岩男の仇を取りたいか?」

八木はやり場のない怒りを爆発させ、たかしは初めて見るそんな八木の姿に、立ちすくむだけでした。

空腹の限界

さらに2週間が過ぎ、食糧難は限界に達しました。

照り付ける太陽の下、ついに倒れこんだたかし。

目を開けると、そこに清がいました。

いいか、嵩。お前は父さんのぶんも生きて、みんなを喜ばせるものを作るんだ。何年かかっても、あきらめずに作るんだ

意識を取り戻したたかしは、駐屯地のベッドにいました。

そしてついに日本が負け、戦争が終わります。

終戦からおよそ半年後、たかしは復員し柳井家に戻ります。

以上がたかしの中国での戦争のネタバレでした。

中国では地元民向けの紙芝居作成に没頭。

岩男の死があり、普段感情を見せない八木の怒りを爆発させた姿に驚いたりした嵩。

空腹の限界のとき、父親、清の幻影を見て、なんとか生き抜きました。

さて、たかしのモデル、やなせたかしさんは戦争で中国に行ったのでしょうか?

やなせたかしが戦争で中国に行った?史実とは?

朝ドラ「あんぱん」柳井嵩(北村匠海)のモデルは、アンパンマンの作者、やなせたかしさんです。

やなせたかしさんは1919年生まれ。「あんぱん」たかしと同じように、幼い時に父親を亡くし、2歳下の弟、千尋さんとともに、高知で開業医を営む、父の兄、寛さんご夫妻に育てられました。

絵が上手だったため、東京高等工芸学校に進学し、デザインを学びます。

徴兵

やなせたかしさんは、東京田辺製薬の宣伝部に勤めていた1941年に徴兵されました。

やなせたかしさんが22歳のときです。

野戦重砲兵第6連隊補充隊(通称号は西部軍管区の隷下部隊である西部第73部隊)に入営されました。

「あんぱん」たかしと同じように、勇猛果敢で知られる小倉にあった部隊です。

鉄砲はもちろん、じゅうほうや思い弾丸などを持って走らされるなど、とても過酷な訓練をされました。

訓練以外でも、何かあればすぐに殴られ、ボクサーのように顔が変形したことも。

病馬棟で夜の見張りをしていたやなせたかしさん。

つい居眠りをしてしまい、見つかってしまいました。

幹部候補生の試験を受けましたが、これが原因で乙種幹部候補生になってしまいます。

乙種は甲種より、下の幹部候補生になります。

ですがこれが功を奏しました。

甲幹になった同期は、満州や中国の前線に送られ、多くの戦死者が出ていたり、戦後シベリアに抑留された同期もいたのです。

その後やなせたかしさんは軍曹となり、暗号教育隊に派遣。頭脳を使う仕事は久々で、楽しかったといいます。

班長に

班長になり、新兵を教育する立場になりました。

やなせたかしさんは兵を殴らず、話も面白いと評判になり、初年兵たちの人気者になります。

初年兵の母親から、班長さんが良い人でよかった、という手紙をもらったことも。

2年間の現役が終わるころ、大東亜戦争が勃発。

やなせたかしさんは中国に派遣されました。

中国へ

やなせたかしさんは輸送船に乗せられましたが、行き先も知らされていません。

何日も水平線を見つめ、ようやく敵地へ決死隊さながらのいでたちで上陸しました。

その後たどり着いたのは、中国福建省の省都で、台湾の対岸にある福州。

アメリカの台湾攻撃を見越しての作戦でした。

やなせたかしさんがいる暗号班では、暗号の解読や現地の住民に対する宣伝活動をしました。

紙芝居を作る

やなせたかしさんは宣伝活動のひとつとして「日中は双生(そうせい)の兄弟である」という紙芝居を自作しました。

通訳の人と一緒に近所の村を回って、紙芝居を上演しました。

地元民から大きな笑いが起きましたが、のちにやなせたかしさんは、通訳が日本の悪口を付け加えていたのでは?と思ったそうです(笑)

ある日無線が入り、解読した班長のやなせたかしさん。

指定の白浜に、全兵隊を終結させろ、というものでした。

解読が間違っていたら、大変なことになると思い、不安でたまらなかったといいます。

味方の船団が浜に来た時には、胸をなでおろしました。

上海へ

船に乗り、別の場所に移動し陸路で上海へ向かいます。

その道は、やなせたかしさんの父親がかつて中国を旅したとき、その旅行記に出てくる道にそっくりで、運命を感じたやなせたかしさん。

移動中何度か敵の攻撃を受け、何人もの兵士たちが死んでいきました。

それでも振り返らず進み続けます。

マラリアと空腹

上海近くの村にたどりつき、上海決戦に備えた部隊。

このときやなせたかしさんはマラリアにかかり、40度以上の高熱に苦しみます。

到着してからだったので、九死に一生を得ました。

もし移動中であれば、父と同じ場所で命を落としていたでしょう。

上海の村民たちは、日本軍を歓迎しました。盗賊に襲われないからです。

ですが部隊は食料不足と備蓄の対応のため、薄いおかゆが朝晩に出るだけ。

草を食べて飢えをしのいだこともありました。

やなせたかしさんは、食べ物がないことがどんなにつらくて情けないか、痛感されたといいます。

敗戦

ある朝全員集合がかかり、ラジオを聞かされましたが、よく聞こえません。

大隊長が言いました。

「日本は負けた」

二度と帰れないと思っていた、日本に帰れると思い、やなせたかしさんは胸をなでおろしたといいます。

そこから力関係が大きくかわりました。

将校や武闘派たちは存在感を亡くし、映画監督や作家など、クリエイティブな人たちが目立つようになったのです。

そのなかにやなせたかしさんもいました。

敵に発砲することがなかった

やなせたかしさんは戦争中、敵から攻撃を受け、銃弾が耳をかすめたことも。

ですが実際に敵を見たことはなく、敵に向かって発砲することもありませんでした。

終戦からは残った食料はすべて食べていいことになり、毎日ごちそうでお腹いっぱいになったそうです。

日本では空襲や飢餓に苦しむ人が多いなか、自分は甘い生活をしてきた、と恥ていたというやなせたかしさん。

全然そんなことはないのですが、そう思わせてしまうのも戦争です。

帰国して知る大切な人の戦死

しばらくしてやなせたかしさんは、船で帰国しました。

佐世保の港に着き、頭から殺虫剤のDDTをかけられます。

高知へ向かう車窓から見た光景は、日本の惨状でした。

特に広島は壊滅的。原爆が落とされたからです。

高知に着き帰宅したやなせたかしさん。母と呼んでいた伯母が涙を流します。

「チイちゃんは死んだぞね」

弟の千尋は戦死していました。

千尋さんの戦死の史実については、以下の記事で詳しくご紹介しています。

あんぱん千尋の海軍予備学生と特攻隊志願の史実とは?

戦争で空腹の辛さを、いやというほど体験したやなせたかしさん。

戦争にはっきりと嫌悪感を現しています。

「ぼくは戦争は大きらい」

この著書でやなせたかしさんは、戦争の悲惨さや愚かさについて語っておられます。

まとめ

NHK連続テレビ小説「あんぱん」北村匠海さんが演じる柳井嵩は、これから戦争で中国に行くことになります。

たかしのモデル、やなせたかしさんも史実では戦争で中国に行きました。

「あんぱん」たかしのネタバレは、かなりやなせたかしさんに忠実に描かれています。

暗号班にいて紙芝居を作成したり、飢えに苦しんだり。

ガイドブックにはありませんでしたが、実際に敵に向かって発砲することはなかった、といことや、マラリアで高熱を出したり、敵の弾丸が耳をかすめた、というエピソードも盛り込まれるかもしれませんね。

妻夫木聡さんが演じている、暴力を振るわない上官、というのはもしかしたらやなせたかしさんがモデルでは?と個人的に思いました。

さらに過酷になっていく戦争。中国でのたかしがもうすぐ描かれます。

朝ドラ「あんぱん」
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