【あんぱん】就職の製薬会社のモデルは東京田辺製薬でやなせたかしの就職先

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朝ドラ「あんぱん」

今田美桜さん主演NHK連続テレビ小説「あんぱん」で北村匠海さんが演じる柳井嵩が就職あうる製薬会社のモデルはやなせたかしさんの就職先でもある東京田辺製薬?

朝ドラ「あんぱん」でたかしが入社する製薬会社のモデルは東京田辺製薬なのか?まとめました。

【あんぱん】柳井嵩は製薬会社に就職する?

あんぱんとは

“アンパンマン”を生み出したやなせたかしと暢の夫婦をモデルに、生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった二人の人生。何者でもなかった二人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでを描き、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語です。

引用元 公式サイト

朝ドラ「あんぱん」はやなせたかしさんご夫妻をモデルに、フィクションのオリジナルドラマとして描かれています。

柳井嵩とは

柳井家・長男

幼少期に新聞社の特派員だった父を亡くして伯父の家に引き取られ、転校先の学校でのぶに出会う。若い頃から漫画や絵を愛した。製薬会社の宣伝部に就職するも、徴兵され戦争に行くことになる。戦後、高知の新聞社でのぶと再会する。のぶを追って上京後、百貨店の宣伝部での勤務を経て、のぶの後押しもあり思いきって漫画家として独立し、様々な活動をしていくようになる。

引用元 公式サイト

嵩は製薬会社に就職?

朝ドラ「あんぱん」公式人物紹介にもあるように、これから嵩は製薬会社の宣伝部に就職することになります。

原作を読むと、嵩は1941年に製薬会社の宣伝部に入社し、1942年に召集され出征するようです。

次でやなせたかしさんの史実をご紹介します。

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【あんぱん】嵩のモデルやなせたかしとは?ドラマとは違う?

朝ドラ「あんぱん」北村匠海さんが演じる柳井嵩のモデルは、アンパンマンの作者やなせたかしさんです。

漫画家になるまでを年表にしました。

1919年東京に生まれる

やなせたかしさんは1919年に東京で生まれました。

父親の柳瀬清さんは日本郵船に勤務されたあと、講談社で編集者として働いています。

その後東京朝日新聞に引き抜かれ、1924年に中国アモイで亡くなりました。

1926年伯父の寛に引き取られる

弟の千尋は父、清の兄で高知で開業医をしていた寛に引き取られ、まもなく母の登喜子が再婚し、相手に子どもがいたためやなせたかしさんも、寛さんに引き取られます。

このときやなせたかしさんは7歳でした。

「あんぱん」では高知の小学校でのぶと嵩は出会いますが、実際には違い、奥様の暢さんとは幼馴染ではありません。

1940年東京田辺製薬宣伝部に入社

高等工芸学校を卒業し、東京田辺製薬の宣伝部に就職しますが、1941年に出征します。

このときやなせたかしさんは22歳でした。

ドラマでは1941年に製薬会社に入社し、1942年に出征するので、年代が1年違いますね。

戦争中は一度も敵に向かって銃を撃つことはなく、1945年に終戦を迎え、1946年に復員されました。

終戦後しばらくは、戦友たちとクズ拾いの会社で働いていました。

1946年高知新聞社に入社

絵への興味が再燃し、高知新聞社に入社。編集の傍ら漫画や表紙絵なども手掛けていました。

高知新聞社で、のちの奥様となる小松暢さんと出会います。

1948年小松暢と結婚

代議士の秘書になった暢さんの後を追い上京したやなせたかしさん。

漫画家を目指しながらデパートの宣伝部で働き始めました。

やなせたかしさんが29歳のときに、小松暢さんとご結婚。

1953年34歳のとき、デパートを退職され漫画家として活動を始めました。

このように、朝ドラ「あんぱん」でやなせたかしさんは史実に近く描かれてきましたが、暢さんは幼馴染ではなかったのが大きな違いです。

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やなせたかしさんが製薬会社に入社し、出征する年も1年ずれていました。

さて、やなせたかしさんが就職した東京田辺製薬とは?

 

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やなせたかしはなぜ東京田辺製薬に就職?どんな会社?

やなせたかしさんは、官立旧制東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部総合工学科デザインコース)卒業後、東京田辺製薬に就職され、宣伝部配属になりました。

なぜ東京田辺製薬に入社?

やなせたかしさんが東京田辺製薬に就職したのは、育ての父で実際に「お父さん」と呼んでいた、伯父の柳瀬寛さんのためです。

あんぱん伯父・柳井寛のモデルはやなせたかしの育ての親の柳瀬寛!

学生時代に電通でアルバイトをしていたやなせたかしさんは、懸賞にも入賞していたこともあり、就職活動のときには電通から声がかかっていたそうです。

ですが、それを断って製薬会社に就職したのは、伯父の寛さんに安く薬を回せると考えたから。

やなせたかしさんは、伯父の寛さんのことをこんな風に思っていたそうです。

籍は入っていなかったから、義父でもなかった。しかしぼくはお父さんと呼んでいたし、たしかに父だった。実子でもないぼくを望むままに東京に遊学させ、海のものとも山のものとも知れない芸術の道に進むことを許してくれたではないか。ぼくはどんなに感謝しても感謝しきれない

引用元 東洋経済オンライン

やなせたかしさんにとっての恩返しだったのかもしれません。

ですがその恩返しが実現することはありませんでした。

東京高等工芸学校工芸図案科の卒業を控え、卒業制作の課題に追われていたやなせたかしさん。

そんなとき、高知から電報が届きました。

チチキトク スグカエレ

すぐにも飛んで帰りたかったのですが、せめて1枚でもポスターを仕上げから・・・そう思い、徹夜でポスターを仕上げ、翌日すぐに汽車に飛び乗りました。

兄貴遅いよ

弟の千尋さんが責めます。

一言も言い返せなかったやなせたかしさん。

涙が止まらないやなせたかしさんは、大声で泣きました。

悲しみよりも、間に合わなかったという悔しさが大きかったそうです(T_T)

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ようやく親孝行ができる、という矢先の寛さんの死。

「何もしてあげれなかった」という後悔を抱え、サラリーマンとして働き始めます。

卒業前、東京田辺製薬に入社が決まったと報告したとき、寛さんはこう評したそうです。

しょうもない会社

(^^;)どんな会社なのでしょうか?

東京田辺製薬はしょうもない?

当時の東京田辺製薬は、現在の田辺三菱製薬会社です。

田辺(タナベ)製薬としておなじみですね。

しょうもないとは真逆の会社です。

歴史は古く、初代田邊屋五兵衛が薬種問屋として1678年に大阪でスタートし、1870年に他社に先駆け、洋薬の取り扱いを始めました。

1933年に株式会社田邊五兵衛商店を設立。

当時はモルタル3階建ての、小さなビルだったといい、寛さんが「しょうもない会社」と表現したのもわかりますね(^^;)

個人的にですが、やなせたかしさんが恩返しに、と考えて就職したのをわかっていて「そんなこと考えなくていいのに」という思いもあり、そう表現したのかな?と思いました。

やなせたかしさんが入社したとき、田辺製薬のトップは内藤豊次さん。1941年に設立したエーザイも大企業にした人物です。

内藤豊次

内藤さんはやなせたかしさんより30歳上で、福井県の農家の3男として生まれました。

7歳で母親を亡くし、自分で朝食と弁当を用意し、通学のため往復12キロの山道を歩き、夕飯の支度もしていたといいます。

学校の成績も優秀で、中学にもほかの人より早く入学しますが、学歴のために時間とお金をかけるより、自分で鍛えようと思い退学しました。

1905年に大阪に出た内藤さん。貝ボタンの会社に就職し、将来を見据え英語の塾に通ったそうです。

23歳で軍隊生活を終え、英語力を買われイギリス人が経営していた薬局タムソン商会に入社しました。

そこでドイツ語やフランス語、中国語のほか、マレー語も習得。

薬学も勉強され、薬品貿易で利益を上げます。

戦争の激化により薬が手に入らなくなり、タムソン商会を退社。

田辺製薬から熱心に勧誘され、田辺製薬に入社されました。

新たに輸出も始め、大成功。先頭に立って開発した肝油剤「ハリバ」なども大ヒットさせています。

田辺製薬を退社後、現在のエーザイを立ち上げ、1951年に「チョコラシリーズ」を大ヒットさせました。

仕事の鬼、といわれた内藤豊次さん。残した功績は、日本に活力を与え続けています。

そんな東京田辺製薬も2023年度には3500億円もの売り上げを誇る、超大手企業です。

東京田辺製薬でのやなせたかし

やなせたかしさんは宣伝部で、薬の広告の絵を描いていたそうです。

商品のデザインのほか、漫画も描けると重宝がられたといいます。

仕事が面白かったというやなせたかしさんですが、1年後に徴兵検査となります。

合格したくなかったやなせたかしさん。東京で受けるか、故郷の高知で受けるか悩み、みんな体格が良い田舎のほうが、不合格になるかも・・・と高知で受けました。

・・・が、体に悪いところはなく合格。

こうしてやなせたかしさんは、勇猛で知られる小倉の七三部隊に配属されました。

ということで、楽しかった東京田辺製薬での勤務は、1年間で幕を閉じました。

まとめ

NHK連続テレビ小説「あんぱん」モデルのはなせたかしさんご夫妻です。

やなせたかしさんは東京高等工芸学校図案科を卒業後、東京田辺製薬に就職され、宣伝部に配属。

薬の広告の絵などを手掛けていました。

東京田辺製薬は当時まだ小さな会社で、伯父の寛さんは「しょうもない会社」と評したといいます(^^;)

現在は田辺製薬として大企業になっていますが、大企業へと成長させたひとりとして、内藤豊次さんがいます。

貧しい農家で生まれ、苦労しながら学校も行かず、早くに英語も勉強し、洋薬の貿易で大きな利益を出しました。

商品開発にも先頭に立ち、多くの商品を大ヒットさせています。

この内藤豊次さんが、やなせたかしさんが入社されたときのトップ。

やなせたかしさんは出征することになり、たった1年でこの会社を去りましたが、ここでの経験は後に生かされていることと思います。

朝ドラ「あんぱん」でも嵩はこれから製薬会社に入社します。

どんな会社で、どんな仕事をしていくのか、どうぞ楽しみにしていてください!

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