東海林明のモデルは青山茂で実在?津田健次郎は高知新聞の編集長?

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朝ドラ「あんぱん」

今田美桜さん主演の朝ドラ「あんぱん」の津田健次郎さんが演じる高知新報の編集局主任、東海林明(しょうじ あきら)は高知新聞だった青山茂さんがモデル?

東海林明のモデルは青山茂さんで実在するのか?史実をご紹介していきます。

東海林明とは?

東海林明とは?戦後にのぶが出会う!

“アンパンマン”を生み出したやなせたかしと暢の夫婦をモデルに、生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった二人の人生。何者でもなかった二人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでを描き、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語です。

引用元 公式サイト

戦争は終わりましたが、親を亡くした戦争孤児たちは街にあふれ、相変わらずの食糧難が続く日本。

以下ネタバレになりますのでご注意ください。

のぶ(今田美桜)の夫、次郎(中島歩)が亡くなり、のぶは未亡人になります。

復員してきたたかし(北村匠海)の励ましもあり、前を向くのぶ。

のぶは、亡くなった夫の影響で速記を必死で勉強します。

速記については、以下の記事でご紹介しています。

んぱん速記の内容やネタバレ!何式かや小松暢の史実について

のぶはある日闇市で、こっそりと速記で行商のやり取りをメモしていました。

そんなのぶに、近くで酒を飲んでいた東海林たちに声をかけられます。

東海林からもらった名刺を頼りに、高知新報にやってきたのぶ。

ところが東海林はまったく覚えてないと・・・(^^;)

高知新報の編集局主任

帰ろうとしたのぶに東海林は、入社試験を受けるよう提案しました。

こうしてのぶは高知新報初の女性記者として入社することになります。

東海林は、高知新報の編集局主任だったんです!

高知新報の編集局主任。戦後の闇市でのぶ(今田美桜)と出会い、のぶに高知新報の採用試験を受けることを薦める。

戦後ののぶにとって、キーパーソンになりそうな人物です。

<津田 健次郎さん コメント>

「逆転しない正義とは何か」という大切な問い。戦前、戦中、戦後という激動の時代を生きる二人の絶望と希望の物語。愛と勇気が満ちるこの作品に参加出来ることをとても嬉しく思います。東海林明という重要な役を託して下さったプロデューサー陣の期待に応えるべく、脚本から飛び出してくる豊かな言葉に感動し、丁寧な演出をして下さる監督陣に導かれ、温かいスタッフの皆様の元気に支えられながら、素敵なキャストの皆様と共に「あんぱん」の時間を生きています。撮影はハードなのですが、笑顔溢れる最高の現場で楽しく過ごしています。願わくば、多くの皆様にこの物語が届きますように。先の見えない混迷の今を生きる皆様の心に響きますように。

引用元 公式サイト

東海林明は第13週の予告動画に登場しています!

東海林明のモデルは青山茂!高知新聞の編集長?

やなせたかしと小松暢は高知新聞社で出会う?

東海林明のモデルについて紹介する前に、まずは、のぶが就職する高知新報についてご紹介します。

高知新報のモデルは、地元から愛され続けている地方紙「高知新聞」です。

のぶのモデル、暢さんとたかしのモデル、やなせたかしさんは、この高知新聞社で出会いました。

朝ドラ「あんぱん」ではのぶとたかしは幼馴染ですが、実際には違い、おふたりは高知新聞社で出あっています。

小松暢さんは若い時にいちどご結婚されましたが、結婚後まもなく夫は出征し、帰国後に病死されました。

暢さんは未亡人となり、速記の技術もあることから高知新聞社の面接を受けます。

1946年、女性31人のなかから選ばれた、たったふたりの女性記者のひとりとして採用されます。

暢さんはこのとき27歳。創刊を控えた「月刊高知」の編集者となりました。

やなせたかしさんはその3か月後に入社。志望動機はただ何となく・・・(^^;)

入社後は社会部記者を経て、月刊高知編集室に配属されます。

編集員は全部で4人。編集長の青山茂さんと、編集部員の品原淳次郎さん。その下に新人の暢さんとやなせたかしさんです。

この4人で紙面づくりや取材、広告の集金までされたそうで、やなせたかしさんは忙しかったけど楽しかった、と語っておられました。

さて、この青山茂さんとはどのような人物だったのでしょうか!

東海林明のモデルは青山茂!高知新聞の編集長?

※画像左

青山茂さんはジャーナリストの経験があり、編集長に抜擢されています。

ほかの3人は20代の新人たち。月刊高知の運命は、青山茂さんに託されたといってもいいでしょう。

朝ドラ「あんぱん」東海林明は編集局主任で、のぶと関わりがあることから、モデルは青山茂さんだと思われます。

当時の高知新聞は、1枚紙だけだったので政治や事件、事故のニュースしか掲載されませんでした。

そこで文科系や娯楽など文化総合を載せた月刊誌「月刊高知」が創刊されたのです。

暢さんは女性目線の記事や、戦争孤児などの記事を書かれ、ときにはやなせたかしさんがその記事に挿絵を入れていました。

みんなで取材旅行に出かけたり、政治家にインタビューなどもしながら、青山茂さんは紙面づくりに奮闘。

努力の甲斐があり、月刊高知は人気の高い雑誌に成長しました。

青山茂さんについては、あまり情報がありません。

創刊から手掛けた月刊高知を人気雑誌に押し上げたので、有能な人材だったのでしょう。

暢さんは代議士の秘書にスカウトされ、1年も経たずに退社され上京。

後を追うように、やなせたかしさんもその1年後に退社され上京されました。

ですがその後も高知新聞社に「恩義がある」と、やなせたかしさんはたびたび漫画を寄稿され、1957年から1959年まで4コマ漫画も掲載されています。

青山茂さんは人物的にも素晴らしい人格だったのではないでしょうか。

暢さんも最後の編集後記にこんな記載をされました。

「月刊高知のためにお力になることなら何でもお手伝いさせていただくつもりでいます。来る新しき年にますます良い雑誌に成長するよう心から祈りつつ」

食中毒のエピソード

月刊高知編集部について、おでんにまつわるエピソードがあります。

東京へ編集部のみんなで取材に行くことになりました。

半分は社員旅行のようなもので、高知新聞の東京支社の2階で泊まることに。

食事は米を炊き、闇市で勝ってきたおかずを食べましたが、ある日おでんを買いました。

食糧難の時代に珍しかったおでん。みんな喜んで食べ始めます。

暢さんはみんなに竹輪はつみれを分け与え、自分は大根やジャガイモなどを食べたのです。

翌日男性3人はお腹を壊してしまいました。

竹輪やつみれが傷んでいたのでしょう。

食べなかった暢さんだけが無事で、暢さんはみんなをかいがいしく介抱しました。

数日間介抱し、やなせたかしさんが先に良くなり、ふたりで取材を始めます。

そうしているうちに、最初から好意を持っていた暢さんに、やなせたかしさんはさらに惹かれていきます。

青山茂さんと品原淳次郎さんの体調も良くなり、みんなで高知に戻りました。

このおでんが、やなせたかしさんと暢さんのキューピッドとなったのかもしれませんね。

このようなエピソードからも、月刊高知編集部のみなさんが仲が良かった様子がうかがい知れます。

みんなをまとめていた、青山茂さんの存在が大きかったのではないでしょうか。

東海林明役のキャスト俳優の津田健次郎とは?

プロフィール

津田健次郎さんは現在54歳。1995年にテレビアニメ『H2』で声優としてデビューされました。

アニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』『テニスの王子様』などで知名度が上がり、、舞台俳優としても活動。

朝ドラ「エール」の語りをきっかけに、テレビドラマや映画などの出演が増え、CMやナレーションなどでもご活躍されています。

2019年にずっとなりたかった映画監督としてもデビューされました。

2021年、第15回声優アワードにて主演男優賞を受賞!

ドラマでも俳優として活躍!

最近のドラマは「西園寺さんは家事をしない」「グレイトギフト」「うちの弁護士は手がかかる」などにご出演。

「プライベートバンカー」ではナレーションを担当されました。

2025年には「1995〜地下鉄サリン事件30年 救命現場の声〜」で、初のドラマ主演も務めています!

まとめ

NHK連続テレビ小説「あんぱん」に、津田健次郎さんが演じる東海林明が登場します。

のぶを高知新報に引き入れる、きっかけを作る人物となりそうです。

東海林明は高知新報の編集局主任。のぶとのちに高知新報に入社することになる、嵩の上司になると思います。

東海林明のモデルは、高知新報のモデル、高知新聞社の青山茂さんだと思います。

やなせたかしさんと暢さんが所属した、月刊高知編集部の編集長だった人物。

みんなをまとめ上げ、創刊から手掛けた月刊高知を人気の月刊誌に作り上げました。

そんな青山茂さんをモデルにしたのが、艶のある低音ボイスが魅力の津田健次郎さん演じる東海林明。

朝ドラ「あんぱん」高知新報編にご期待ください!

朝ドラ「あんぱん」
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