あんぱん柳瀬寛の死亡の死因を史実から!危篤でどうなる?

※記事内にアフィリエイト広告が含まれています。

朝ドラ「あんぱん」

NHK連続テレビ小説「あんぱん」悲しいですが竹野内豊さんが演じる柳井寛(やないひろし)が死亡します死因とは?危篤の連絡がはいりますがどうなるのか?史実とは?

朝ドラ「あんぱん」で柳井寛のモデル柳瀬寛さんの死亡の史実について死因とは?病死なのか?ご紹介します。

あんぱん柳井寛は嵩の伯父!どんな人物?

あんぱんとは

“アンパンマン”を生み出したやなせたかしと暢の夫婦をモデルに、生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった二人の人生。何者でもなかった二人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでを描き、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語です。

引用元 公式サイト

やなせたかしさんご夫妻をモデルに、フィクションで描かれています。

「あんぱん」では嵩(北村匠海)とのぶ(今田美桜)は幼馴染ですが、史実では違い大人になってからふたりは出会います。

それ以外の嵩の少年時代から学生時代までは、史実に近く描かれてきました。

柳井寛とは

嵩の伯父

柳井診療所の院長をつとめる町医者。嵩や千尋にとっての育ての父で、どんな時も二人を励まし続け、生きる道しるべを示す。

引用元 公式サイト

嵩は幼い時に父の清(二宮和也)を亡くし、清の父で伯父の寛(竹野内豊)と千代子(戸田菜穂)に育てられます。

嵩は再婚した母の登美子(松嶋菜々子)に置いて行かれましたが、寛夫婦に我が子のように大切に育てられました。

寛は養子になった嵩の弟、千尋(中沢 元紀)と差別することなく、常にふたりの気持ちを尊重し、ふたりの将来を案じています。

あんぱん柳井寛の危篤の連絡が!ネタバレは死亡かどうなる?

ネタバレですのでご注意ください。

卒業制作に没頭する嵩

卒業制作を最高のものにする、という嵩(北村匠海)からの手紙を見て、うれしそうな顔をする寛(竹野内豊)。

嵩は卒業制作が完成したら、のぶ(今田美桜)に気持ちを伝えようと制作に没頭していました。

1940年1月。そんな嵩のもとに、寛の危篤を知らせる電報が届きます。

健太郎(高橋文哉)はすぐ帰るよう促しますが、嵩は心に決めていました。

これを描き上げないと、伯父さんに顔向けできない

嵩は夜通しで描きあげ、座間(山寺宏一)に卒業を認められ、高知へと急ぎます。

寛の死

ですが到着したとき、寛はすでに亡くなっていました。

号泣し謝り続ける嵩。

そんな嵩に千代子(戸田菜穂)が、寛の言葉を伝えます。

最後まで描きあげんと、ハンパもんで来たりしよったら、殴っちゃる。嵩が決めた道や。投げ出すがは許さん

数日後、シーソーに座っていた嵩のことろにのぶがやってきました。

草吉(阿部サダヲ)から預かった、あんぱんを嵩に届けに来たのです。

最後までダメな息子だった・・・

そうつぶやきふさぎ込む嵩をのぶが慰めます。

死因は不明

原作ネタバレは以上です。わかているガイドブックの情報から寛の死因については、記載はありませんでした。

元気だったはずの寛。おそらく50歳前後と思われますが、なぜ亡くなったのでしょうか?

モデルとなる柳瀬寛さんの死因とは?

柳井寛の死亡の死因を史実から?モデルの柳瀬寛はどうだった?

朝ドラ「あんぱん」柳井寛のモデルは、やなせたかしさんの伯父で育ての親でもある柳瀬寛さんです。

死因

死因ははっきりしませんが、50歳で突然倒れ、あっというまに亡くなったことから心臓麻痺、もしくは脳溢血だといわれています。

やなせたかしさんの父親で、寛さんの弟である柳瀬清さんは、もっと早い31歳で亡くなりました。

朝日新聞に勤務していて、中国に転勤していた清さん。

単身赴任で中国にいましたが、激務のためでしょうか、寛さんと同じように急に倒れそのままお亡くなりになったそうです。

寛さんと同じような死因だったのかもしれませんね。

人物像

柳瀬寛さんは高知県に代々続く名家、柳瀬家の長男として生まれました。

現在の京都府立医科大学を卒業され、高知県御免町で内科小児科の柳瀬医院を開きます。

寛さんはとても多趣味だったそうで、やなせたかしさんも影響を受けたといいます。

朝ドラ「あんぱん」で寛は、ギターも持っていましたが、史実では俳句やレコードなどのほか、オートバイなどの趣味も。

オートバイにサイドカーをつけ、田舎道をよく走っていたそうです。

往診にもオートバイを使っていたといいます。

面倒見がいい

寛さんご夫妻に子どもがいなかったこともあると思いますが、弟の清さんの息子2人を引き取り、愛情をかけて立派に育て上げました。

さらに寛さんにとってもうひとりの弟も、自宅に住まわせ面倒をみていたといいます。

やなせたかしさんは、この弟(やなせたかしさんにとって叔父)と同じ部屋で暮らしていたそうです。

寛さんは長男として、弟たちやその家族の面倒もみていたのです。

優しい人柄

世の中にはエラそうなお医者さんもいらっしゃいますが(^^;)、柳瀬寛さんは違ったようです。

柳瀬医院の待合室には、地元の人たちが集まり、まるでサロンのようだったとか。

地元の人たちから、お菓子などの差し入れももらっていたそうですが、それらは子どもたちを集め、配っていたといいます。

育ての親として

柳瀬寛さんは弟、清さんの息子2人を引き取り、育て上げています。

長男はやなせたかしさんで、弟の千尋さんは幼い時に養子として受けれていてます。

やなせたかしさんは養子ではありませんでしたが、お父さんと呼んでいたようです。

やなせたかしさんは学費も出し、病院を譲ってもいいので、医者にならないか?と聞かれたことがありました。

そのとき成績が良くなかったので、申し訳ないと思いながら断ったやなせたかしさん。

無理強いすることなく、あっさりと寛さんは引き下がったそうです。

このことはドラマでも描かれましたね。

やなせたかしさんが東京高等工芸学校図案科に進学したのも、好きなことをして食べていけるよう、寛さんのアドバイスがあったから。

寛さんは子どもたちの気持ちを優先し、導かせていった朝ドラ「あんぱん」の寛と同じような素晴らしい人物だったようです。

最期に会えなかったやなせたかし

卒業を控え、卒業制作に追われていたやなせたかしさんの元に、高知から電報が届きます。

チチキトク スグカエレ

やなせたかしさんはすぐにでも帰りたかったのですが、卒業制作を提出しなげれば卒業できませんでした。

徹夜で1枚のポスターを仕上げ、不満足ではありましたが、急いで東京から高知へと向かいます。

ですがすでに寛さんは亡くなっていました。

兄貴おそいよ

弟の千尋さんに責められ、言い返すことができないやなせたかしさん。

当時は飛行機もなく、汽車を乗り継いだため、時間がかかってしまったのです。

このときのことをのちにこう語っておられます。

父は死んでいた。父というのは本当は伯父で、籍は入っていなかったから、義父でもなかった。しかしぼくはお父さんと呼んでいたし、たしかに父だった。実子でもないぼくを望むままに東京に遊学させ、海のものとも山のものとも知れない芸術の道に進むことを許してくれたではないか。ぼくはどんなに感謝しても感謝しきれない

引用元 東洋経済オンライン

やなせたかしさんは涙が止まらず、10年分の涙がいっぺんに出たくらい、号泣されました。

そんな後悔を胸に、やなせたかしさんは社会人として世に出ていきます。

まとめ

NHK連続テレビ小説「あんぱん」竹野内豊さんが演じる柳井寛のモデル、柳瀬寛さんは50歳で急逝しています。

死因は正確にはわかりませんが、急に倒れ間もなく亡くなったので、心臓麻痺もしくは脳溢血では、といわれています。

朝ドラ「あんぱん」柳井寛も亡くなりますが、公式ガイドブックでは死因は記載されていません。

モデルの寛さんと同じように、急に倒れてなくなるようなので、同じような死因になるのではないでしょうか。

もしくは死因は明らかにされない可能性もあります。

豪ちゃんが戦死したばかりで、次は寛かと思うと切ないですね(T_T)

コメント

タイトルとURLをコピーしました