高知新報のモデルは高知新聞社!小松暢とやなせたかしが出会った職場

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朝ドラ「あんぱん」戦後にヒロインのぶが働く高知新報(こうちしんぽう)モデルは高知新聞社?

高知新報のモデルはやなせたかしさんと奥様の小松暢さんが出会った職場の高知新聞社なのか?史実をご紹介します。

高知新報とは?あんぱんでのぶと崇が出会う職場

“アンパンマン”を生み出したやなせたかしと暢の夫婦をモデルに、生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった二人の人生。何者でもなかった二人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでを描き、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語です。

引用元 公式サイト

高知新報とは?あんぱんでのぶが戦後に就職する職場!

朝ドラ「あんぱん」に登場する「高知新報」は、戦後のぶ(今田美桜)と嵩(北村匠海)が入社することになる新聞社です。

なんと!「あんぱん」高知新報編で、アニメ「アンパンマン」でアンパンマンの声を担当する戸田恵子さんも登場(≧∇≦)

ほかにも同僚役で津田健次郎さん、女性記者役に鳴海唯さんのご出演が発表されています。

終戦を迎え、教師を辞めたのぶ。のぶは、夫の次郎に託された思いから「速記」を勉強します。

速記については、以下の記事で詳しくまとめてあります。

あんぱん速記の内容やネタバレ!何式かや小松暢の史実についても

そして速記を勉強したことがきっかけで、高知新報に入社することになります。

のぶと崇が出会う?

そしてまだどのようにして、就職するのか?経緯などは不明なのですが、モデルのやなせたかしさんの史実通りだと、崇も高知新報に入社することになると思います。

同僚として再会することになるのでは?

哀しいことが多かった戦争編もようやく終わりました。

高知新報編ではのぶとたかしが恋に落ちる!?

以降では、そんな高知新報のモデルについてご紹介していきます。

高知新報のモデルは高知新聞社!地元に愛される地方紙を発行?

高知新報のモデルは実在の高知新聞社です。

高知県の地方紙分「高知新聞」を発行している株式会社高知新聞社。

2023年に高知市本町3丁目から、西におよそ300メートルの県庁の南側で、高知市役所の左隣の 高知電気ビル新館4階 – 8階に移転しています。

住所

高知市本町四丁目1番24号 高知電気ビル新館

東京や大阪、博多などに支社があります。

高知新聞

高知新聞は、板垣退助が創立した政治結社「立志社」の機関紙『土陽新聞』から独立し、1904年に創刊されました。

創刊号は8ページで、1面には主筆・富田幸次郎の「発行の趣旨」が掲載されました。

2004年にマスコットキャラクター「にゅーすけ」誕生(≧∇≦)

2017年には紙齢4万号を迎え、高知県内のシェアは88%超え!

全国的に見ても非常に高い数字で、高知県民から支持されているのがわかります。

自由民権の系譜を受け継いで、創刊以来試練を経ながら長い歴史を歩んできました。
これからも、広く県民の声を聞いて地域の情報発信を担い、唯一の地元紙としての使命を全うしていきます。
そして、関連グループと手を携え、県民が安心して暮らせる郷土作りに寄与していきます。

引用元 高知新聞社

高知新聞はジャーナリズムの使命を胸に刻み、県民、市民の視点から権力や社会をチェックする役目を果たしています。

2018年から電子版「高知新聞PLUS」がスタートしました。

2024年に創刊120周年を記念して、ラッピング電車が登場!

現在は新聞発行のほか、このような事業を展開しています。

事業展開

デジタル事業

ウェブサイトや電子版、SNSなどのデジタルツールなどでの情報発信

広告事業

企業から発信される、生活に役立つ広告情報などのプロデュース

災害に備える

台風、豪雨、地震、津波などの地域に残る言い伝えなどから、今備えておかなければならない情報の共有

文化・スポーツ振興

「赤ちゃん会」や高知県美術展覧会などの文化振興、高新駅伝や高知龍馬マラソン、野球やサッカー大会など、さまざまなスポーツ大会の主催。

高知県民の生活に根付いた事業を展開しています。

このように高知新聞社は、県民に愛される高知新聞の発行元です。

高知新聞社はやなせたかしと小松暢が出会った職場?

朝ドラ「あんぱん」今田美桜さん演じるヒロイン朝田のぶのモデルは小松暢さん。

北村匠海さんが演じる柳井嵩のモデルがやなせたかしさんです。

のぶと嵩は「あんぱん」では幼馴染ですが、小松暢さんとやなせたかしさんは、高知新聞社で出会いました。

小松暢が高知新聞社に入社

小松暢さんは一度ご結婚されましたが、結婚して間もなく夫が出征し、帰国しますが病死されています。

暢さんは一人で生きていくため、高知新聞社の面接を受けました。

1946年に高知新聞が、女性31人の応募者の中から採用した、最初の女性記者2人のうちの一人です。

このときの受験資格は高等女学校卒業程度以上の学力を有し、年齢は20歳から30歳まで。

当時暢さんは27歳でした。

小松暢さんは1946年2月に入社。創刊を控えた「月刊高知」の編集者になりました。

建物は急ごしらえの復旧ゆえ、編集部は社屋3階にベニヤ板で仕切られた狭いスペース。

暢さんは座談会の書き起こしに、速記の腕を生かしたり、美容やファッションの記事を担当されたそうです。

ほかにも戦争孤児たちの窮状なども取材されました。

男の先輩記者が女性2人を歓迎し、市役所を案内したり、進駐軍も取材の便宜を図ったり、パーティにも呼ばれたといいます。

やなせたかしも高新聞社に入社

やなせたかしさんが高知新聞社に入社されたのは、暢さんより3か月あとの1946年5月です。

やなせたかしさんは復員され、クズ拾いの仕事などをされていて、3か月が過ぎたころに高知新聞社に応募されました。

志望動機は・・・ただ何となく(笑)

ほかの仕事が、したかっただけだったそうです。

仕事の少ない時代で、応募者も殺到。やなせたかしさんはあきらめていたといいます。

やなせたかしさんは社会部記者を経て「月刊高知」編集室に所属されました。

編集部はおふたりを含めて4人です。

やなせたかしさんは暢さんの向かいの席になり、「色白の快活な美少女タイプ」の暢さんに一目ぼれ(≧∇≦)

やなせたかしさんは表表紙や漫画、文章の執筆など、多くのお仕事を担当されました。

人数がいないので、記事を描いたり挿絵を描いたり、果ては広告の営業や集金、製本業まですべてをやっていたそうです。

月刊高知第2号の表紙を描いたのが、入社2か月目だったやなせたかしさんです。

実はほかの漫画家に依頼していたのですが、締め切りに間に合わなかったそうです(^^;)

やなせたかしさんはこんな編集後記を綴っておられます。

ピンチヒッターで小生が受け持ちましたがどうも凡フライで、申し訳ありません

引用元 高知新聞

描いた女性は、暢さんに似ていたそうです(≧∇≦)

当時の高知新聞社と月刊高知

暢さんが入社した1946年の社屋は、前年に起きた高知大空襲のせいで、黒焦げになっていたそうです。

なんと窓ガラスもなかったとか。

本当に悲惨な状況ですね(T_T)

ですが事業の拡大に合わせて人員も増え、建物も増築。

やなせたかしさんが入社されたときには、本社社屋を取り囲むように、敷地内に別棟がいくつも立ち並んでいたそうです。

発行部数も回復させました。

月刊高知とは1946年7月に創刊された文化総合雑誌。記者のルポや文化人の座談会、郷土ゆかりの作家の小説などが掲載されたそうです。

当時新聞は1枚のみで、文化や娯楽などを載せることができなかったので、創刊されました。

月刊高知は1950年9月まで続きました。

恋に落ちるふたり

やなせたかしさんは、暢さんの記事に挿絵を描くなど、ふたりの距離が短くなっていきます。

8月号では暢さんの原稿に、やなせたかしさんが挿絵を手掛けた「おしゃれとくほん」という美容記事も掲載。

やなせたかしさんは暢さんについて、このようにエッセーで書かれています。

ドイツ式の一眼レフカメラを持っていた

速記の名手

暢さんの亡くなった夫からプレゼントされたというカメラ。

雑誌の写真には「小松暢撮影」というものもあったそうです。

こうして二人は絆を深めていき、のちに結婚されることになります。

高知新聞社を退社

速記力を見込まれ、県選出の国会議員から声がかかり、暢さんは1946年発行の11月12月合併号を最後に退社し上京。

そのとき暢さんは「先に上京して待ってるわ」と言ったそうです。

その1年後にやなせたかしさんも高知新聞社を退社され、暢さんの後を追いました。

おふたりの退社のときの編集後記です。

やなせたかしさん

僕は月刊高知から去ることになりました。かねて考えていたことでもう一度出発点にかえり振り出しからやり直してみるつもりです。くだらない人間は別れの時には余計くだらぬことを言いたくなるものなので僕も泣きだす前にこれでおしまいにします

その脇に同僚がこんなアンサーを。

人はそれぞれの仕事を示す場所を一生かかって探さねばならない。本当に自分を生かす仕事のためには。彼(やなせさん)は今それを見いだしたのだから喜んで送り出そう

素晴らしい仲間ですね。

小松暢さん

月刊高知は皆さんにかわいがられて5カ月になりました。近頃はよく笑います。無経験な乳母の手にかかりながらも、すくすくと成長してゆく月刊高知への愛着はひとしおです。こんなにも離れ難い思いの月刊高知にお別れし、編集同人の方々との一家団らんの温かい空気の中から独り抜け出てゆく自分を思いますと、全身の力がすーと抜けてゆくのを感じます

高知新聞社との付き合いはつづく

やなせたかしさんは退社後も、恩義がある、としてたびたび漫画を寄稿されたそうです。

1957~59年には四コマ漫画「マックロちゃん」なども連載。

このときに、やなせたかしさんのこんなあいさつ文が掲載されました。

高知新聞に連載漫画をかきたいというのが久しい悲願でした。いま幸いにそのチャンスを与えられて胸がドキドキしています

暢さんも最後の編集後記にこんな記載をされました。

月刊高知のためにお力になることなら何でもお手伝いさせていただくつもりでいます。来る新しき年にますます良い雑誌に成長するよう心から祈りつつ

高知新聞社という職場は、おふたりにとってかけがえのない場所だったのでしょうね。

 

まとめ

NHK連続テレビ小説「あんぱん」高知新報編が始まります。

高知新報のモデルは高知新聞社。高知の地元で愛されている地方新聞「高知新聞」などを発行している企業です。

板垣退助が創刊した「立志社」の機関紙『土陽新聞』から独立し、1904年に創刊された歴史ある地方紙。

史実ではやなせたかしさんと、奥さんの暢さんにとって、この高知新聞社が出会った職場。のちに結婚することになります。

ということはのぶとたかしも高知新報で再会し、ふたりは結婚???

高知新報編には戸田恵子さんや津田健次郎さん、鳴海唯さんのご出演も発表されています。

「あんぱん」高知新報編、ご期待ください!

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